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COLUMN for GERMAN WATCH

規格化が高品質を導き出した。
「時計産業を支えた計器メーカーとは?」

時計を作るためには、多くの人手が必要。それは時計メーカーの中だけでなく、周辺をサポートする企業も含まれる。ドイツ時計産業の中心地グラスヒュッテのハイレベルな時計製造技術を支えていたのは、「ミューレ」という会社だった。 そもそもグラスヒュッテの時計産業は、1845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲとその弟子がこの地に移住してきたことから始まる。しかしドイツの東側に位置するためスイスからは遠く、半完成品のパーツを購入することができなかった。そこでランゲは弟子ごとに製造するパーツを割り振り、共有パーツを使うことにした。同じパーツを作っていれば習熟度が高まるので品質は上がるし、同じパーツを使うということは統一のスタイルができるためブランドイメージも確立しやすい。つまり村全体を大きな時計工房として考えたのだ。
しかし異なる機械を使って作られたパーツを組み合わせて、高精度を実現させるのは容易ではない。そこで重要になったのが、正確な計測機器だった。これを作っていたのが「ミューレ」なのだ。
グラスヒュッテの地で700年以上に渡って血脈を継いできたミューレ家の頭目ロベルト・ミューレは、1869年に時計用の計測機器を製造する会社を設立。その品質の高さで名声を獲得し、ザクセン王国が主催したコンクールで金賞を獲得するほどだった。そしてミューレ製の優れた計測機器を使って作るグラスヒュッテの時計もまた、高品質で知られるようになった。特に1900年に発表した計測器「MESSUHREN」は1/1000㎜までの正確な計測を可能にし、グラスヒュッテの時計製造技術を、格段にレベルアップさせたのだった。

19世紀後半のミューレ家。前列左から四人目が創業者のロベルト・ミューレ
19世紀後半のミューレ家。前列左から四人目が創業者のロベルト・ミューレ
ミューレが20世紀初頭に製造していた高精度測定器(ダイアルゲージ)の一つ
ミューレが20世紀初頭に製造していた高精度測定器(ダイアルゲージ)の一つ

ミューレは時代に合わせた商品作りに長けており、自動車時代が到来するとすぐさま自動車用スピードメーターを開発するなど、優れた技術力をベースに時代に応じた計器を作っていった。東独政権下で国有化された際も技術力を絶やすことはなかったため、東西ドイツが再統合されるや1994年に会社を復興し、社名を「ミューレ・グラスヒュッテ」と変更して今度は腕時計製造に乗り出した。グラスヒュッテの縁の下の力持ちは、遂に表舞台へと進出したのだ。

ミューレ・グラスヒュッテの時計たちは、いかにもグラスヒュッテ製らしい質実剛健のデザインを持つ。これはかつて製造していた計器へのオマージュを込めたデザインだ。彼らは2003年には精度調整のための「ウッドペッカー・レギュレーター」という緩急針で特許を取得。2011年には初の自社製ムーブメントCal.MU 9411を完成させるなど、時計メーカーとしての地位を盤石なものにしつつある。
生真面目でありながら、情熱的でもある。それがミューレ家のモノ作りの哲学であり、時計ブランド「ミューレ・グラスヒュッテ」にも、濃厚に受け継がれている。

篠田哲生
Profile
篠田哲生
1975年生まれ。嗜好品ライター、時計ジャーナリスト。総合男性情報誌を経て独立。時計専門誌からファッション誌、ライフスタイル誌、WEBなど幅広い媒体で時計記事を担当。時計専門学校を修了した実践派でもある。カジュアルウォッチの検索サイト「Gressive Off Style」のディレクションも担当。