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コラム&特集
COLUMN for GERMAN WATCH

戦争が時計を磨いた。
「誇り高きSTOWAのパイロットウォッチ」

20世紀初頭、懐中時計から腕時計への技術転換が一気に進むきっかけになったのは「戦争」だった。戦場では懐から時計を取り出す余裕などない。そこで懐中時計にベルトループを溶接し、腕に取り付けたのだ。このような初期の腕時計は、パイロットたちも愛用していた。飛行機が戦場に投入されたのは第一次世界大戦頃から。当時の飛行機には満足な計器が存在せず、地図とコンパス、そして時計を使って正確なルートを導き出していた。時計は飛行時間を計測して距離や燃料を割り出すという重大な役目を担っていたが、コックピットは狭くて振動も多く、磁気も多かった。とても過酷な環境であったため、高精度で高耐磁、タフで腕にフィットする腕時計が必要とされていたのだ。

しかも第二次世界大戦がはじまるころには各国で空軍の整備が進み、飛行機を使った作戦が一気に広まる。正確な作戦遂行のためには、正確なパイロットウォッチの開発が急務となったので、各国の空軍は自国の優秀な時計メーカーにパイロットウォッチ製造の依頼をかけた。ドイツ空軍が選んだのは、A.ランゲ&ゾーネ、ラコ、ヴェンペ、そしてストーヴァだった。(さらにスイスのドイツ語圏に拠点を構えるIWCにも依頼している)

1927年に創業したストーヴァは、1935年にフォルツハイムに社屋を移転。1940年に軍からの依頼を受けて55㎜ケースの「バウムスタA」を製作する。さらに1942年にはインナーサークルを持つ「バウムスタB」の製作も開始した。(ストーヴァは42個しか製造しなかったため、愛好家垂涎の時計になっている)

「バウムスタA」オリジナル(1940年)
「バウムスタA」オリジナル(1940年)
「バウムスタB」オリジナル(1942年)
「バウムスタB」オリジナル(1942年)

当時のパイロットウォッチはとにかく計器であり、視認性を追求するためにインデックスと針のデザインをシンプル化していた。時計の機構やデザインは前述の5社が共有していたため、ダイヤルにはブランドのロゴマークさえも入っていない。それでもストーヴァのパイロットウォッチは優秀だったために連合国軍からの攻撃対象となり、1945年には工場が爆撃されて壊滅的な被害を受けた。さらに戦後は時計を押収され、フランス軍用の時計として使用されたこともあったようだ。

一時期休眠状態にあったストーヴァは、2004年にヨルク・シャウアーによって復興された。彼が何よりも大切にしているのは歴史の継続であり、その中心にはパイロットウォッチがある。それはドイツには4社しかないパイロットウォッチ文化の継承者であるからだ。
スマートフォンの誕生によって腕時計の存在意義は実用品からアクセサリーへと変化を遂げた。正確な電子計器のおかげで、パイロットウォッチも本来の役目は終えている。しかしそれでも、パイロットウォッチが戦場で磨かれた“男たちのための時計”であったという歴史的な価値は変わらない。ストーヴァという本物の時計が求められるのだ。

篠田哲生
Profile
篠田哲生
1975年生まれ。嗜好品ライター、時計ジャーナリスト。総合男性情報誌を経て独立。時計専門誌からファッション誌、ライフスタイル誌、WEBなど幅広い媒体で時計記事を担当。時計専門学校を修了した実践派でもある。カジュアルウォッチの検索サイト「Gressive Off Style」のディレクションも担当。